愛知県の東三河は、西から、名古屋市を含む尾張地域、トヨタ自動車の豊田市を含む西三河地域、その隣、県内東部の静岡県に隣接する地域であり、5市・2町・1村から構成されています。日本有数の農産物生産地域であると同時に、自動車産業を中心とする工業集積地域であり、三河港は、日本最大級の自動車貿易港として知られています。地域内には、豊田市のトヨタおよび浜松市のスズキの完成車組立工場が立地しているので、近隣に部品メーカーの集積が進みました。
そのため、工業部門に注目すれば、東三河は、西三河および浜松経済が空間的に広がった結果(外延的拡大)、成長した地域とする見方もあります。輸送機械を典型とする大企業主導型の産業が東三河地域の工業に占める割合(2008年)は、事業所数57%、従業員数72.7%、製品出荷額81.8%にまで上ります。この点からすれば、東三河地域が地域外に本社を有する外来大企業に依存しているとも言えましょう。
ですが、市町村レベルで見てみると、東三河のもっと多様な地域経済の実態が浮かび上がってきます。先端的な基礎研究から応用技術研究まで豊富な研究実績のある豊橋技術科学大学をはじめ、素材型産業や輸送機械、電気・電子部品、食料品など、多角化された産業構造を有する豊橋市(人口:37万人)、トヨタ・グループの組み立て工場を有するとともに、農業も盛んな田原市(6万人)、スズキの組み立て工場や自動車部品メーカーの集積する豊川市(18万人)、一般機械や伝統的な繊維、木材加工、食品加工業の中小企業が集まるとともに、医療機器・再生医療分野の世界的企業が立地する蒲郡市(8万人)、工業団地を中心に、豊川・豊橋市に立地する企業の工場が展開する新城市(5万人)、その他にも、農業や林業、観光を中心とする比較的小規模な自治体が存在します。
市町村ごとの経済構造をもう少し詳しく把握するために、表の市民所得の流出入比率(市民所得/市内純生産)を見てみましょう。市民所得の総額を市内純生産(市内で生産された付加価値の総額)で除して1を上回る場合は、市内純生産の総額を越えて所得が市外から流入していることを示唆しており、反対に1を下回る場合は、市内純生産の一定分が市外に流出していることを意味しています。
そのため、東京に通勤する人々の「ベットタウン」としての性格が強い横浜市のような地域では、流入超過の傾向が表れやすく、他方で、名古屋市のように、企業の本社が多く立地する地域であっても、その就業者人口を市外に依存している場合は、流出超過の傾向が見られます。東三河地域で特徴的な点は、この地域の中心市である豊橋市でも比較的自立的な数値を示しており、周辺地域と一方的な就業人口の依存関係があるわけでもなく、名古屋や浜松といった更なる上位都市に通勤する就業者のベットタウンという性格もありません。
そのため、豊橋周辺の自治体についても安定した流出入比率を示しています。ただし、田原市では、0.81と比較的低い値を示しており、これは、一方で、田原市の就業人口の多くを市外に依存している可能性と、他方で、大企業の地方工場で生み出された付加価値部分が、市外の本社へと吸い取られた結果と推測できます。そして、蒲郡市では1.26と最も高い流入率となっています。この要因は、横浜市のようなベットタウン的性格に由来するものではありません。
蒲郡市から豊橋市への通勤人口は2,000人程度と新城市と同じ水準ですし、名古屋市への通勤者も限られています。むしろ、蒲郡市の移出・輸出企業、例えば、本社・研究開発・生産拠点を有し、医療機器・再生医療産業で世界をリードするニデック社(従業員数:1,399人、2012年)による貢献が考えられます。同社は、眼科医療機器やレンズ、光学部品フィルター類のコーティング加工および人工視覚システムの生産と開発を手掛け、多くの製品が蒲郡市から国外に輸出されています。
東三河市町村の市民所得の流出入比率(市民所得/市内純生産)、2008年
資料:愛知大学中部地方産業研究所(2012)『東三河の経済と社会 第7版』、内閣府『県民経済計算』。
東三河地域の特徴をまとめると、第一に、広域的地域の中心市である豊橋市の求心力は低く、分散的な構造を持ち合わせています。そのため、人口や企業を中心市に集中化させて効率的な大都市を形成することは現実的な方策ではありません。大都市形成こそがグローバル化時代の唯一の地域発展戦略であるかのように考えられている今日では、東三河のような分散的地域構造を有する地域が生き残れるかどうかは、日本の地域経済にとって一つの試金石になると言えます。
第二に、西三河地域と浜松地域といった日本を代表するものづくり拠点に挟まれて、その成長の延長上に、自動車産業集積が形成されています。すなわち、外部依存型開発の性格を有しています。これらの多様な成長資源を抱え込む大企業をいかに地域に根付かせて、その資源を活用して、地域経済に独自の発展メカニズムを形成するか。地域主体の政策的な力量が試されています。第三に、農業や輸送機械だけではなく、先端産業分野において活躍する土着のオンリーワン企業が誕生しています。外来大企業を地域経済の発展主体として活用する視点に加えて、いかに、こうした内発的な発展の芽を育て、開花させ、さらに新しい種を地域に蒔くのかが重要な課題と言えます。
以上のように、東三河は、日本の地域経済が抱える多くの課題とポテンシャルを共有しています。そのため、日本の地域経済を展望するうえで、東三河地域を考えることは、特別な意義を有するのです。それでは次に、東三河地域を念頭に置きながら、国内外の先進的な地域経済の実験的試みを参考にして、どのような地域産業政策が有効であり実現可能なのか、考えてみたいと思います。