○提供する医療・介護サービスについて
将来の医療提供体制を整備するためには,まずは個々の患者にどの程度の医療・介護サービスを提供するのか,ということが重要です。医療については,その治療法が医学的に効果あるという根拠があること,費用対効果が適切であることが大切であり,これらを満たすのであれば住民に適切に提供できるようにします。皆さんは意外と思われるかも知れませんが,実はある治療を行っても行わなくても医学的にそれほど差のないケースがあります。
例えば風邪を引いた場合,外来に行くと抗生物質が処方されることがありますが,ウイルス性の病原体には効果はありません。抗生物質は原則,細菌にしか効果がありません。抗生物質が効果的あるのは,ウイルス性の風邪によって全身状態が悪くなり,悪さをする細菌が体内で増えている場合です。
風邪を引いて点滴をしてもらいたいという患者さんがいますが,水を口から飲めるのであれば点滴をする必要はありません。点滴をしてもらうと元気になった気がしますが,医学的には水を口から取ったのと同じ効果です。これらの治療は患者さんの求めもあって日常診療で行われがちですが,原則,根拠がある治療法のみを健康保険の適応とするべきだと考えます。
また,費用対効果の議論も重要です。費用対効果についてですが,基本的にはかかった費用と伸びるであろう寿命を元に計算し,費用あたり,どの程度寿命を伸ばすかで計算します。正確なデータが限られている中で費用あたりの延伸寿命は正確には分かりませんので,患者の情報を集計した上で,データを公開し,地域の協議会で健康保険を適応する治療,適応しない治療を決めます。
その際,適応できない治療については,混合診療を認め,自己負担で受けることができるようにします。とはいえ,なかなか難しい計算が必要であり,データを集めるのも一苦労です。また,費用については,治療法が普及すれば普及するほど費用が安くなります。そのため,医学的な根拠がある場合は費用負担が許容できる範囲で幅広に健康保険として認めることが重要です。
○医療機関の機能分化促進
日本の医療は7割が医療法人であり,これらは民間ベースです。戦後,医療ニーズが拡大する中で,民間主体の医療提供であるからこそ,個々の医療機関が地域における立ち位置を考え,病院を新設,病床が増やしてきました。ところが現在,近隣で似たような機能を持つ病院が乱立したり,その地域で本当は必要とされている医療が提供できないケースが見受けられています。
そういった中,厚生労働省は医療機関の機能分化を促すべく,検討を行っています。厚生労働省の考えはどちらかというと公的部門が医療機関の機能を決めてその機能を果たすように促す,といった考え方で,お上が民間をコントロールするといった考え方です。私はむしろ,民間主体で提供体制が作られてきた歴史を評価し,それぞれの医療機関が自ら提供する機能を選ぶことができるようにするべきだと思います。
そのために公的な機関である協議会がそれぞれの医療機関の持っている提供機能,受入患者の病態像を把握し,協議会の責任でその情報を医療機関に提供することで,今後,各医療機関が自らどのような方向を目指せばよいかという経営戦略を立てることができるようにするべきだと思います。十分かつ適切な情報があれば,個々の医療機関は適切に自らの立ち位置を理解し,個々の最適化が全体最適化に結び付くと思われます。
民間主体の医療機関に対して強制的に機能分化を促さざるを得ない局面もあるかもしれません。特に救急医療の提供体制が弱いために一定の役割を担ってもらう必要が出てくるかもしれません。その場合は民主的な合議体である協議会の枠組みを用いて提言を行うべきであると思います。医師に対しても同様の情報を提供すれば,ある専門的な研修を希望する医師が専門医療を提供する医療機関に集まるようになり,結果的に高度医療,専門治療の集約化を図ることができると思われます。
○住民がかかりつけ医,主治医を持つことを推進するための情報公開
国において,昔から主治医制度やかかりつけ医制度の導入の検討がなされてきました。主治医やかかりつけ医がいれば,患者の過去の病気,現在の健康状態のみならず,その人の人生観,家庭環境も把握が可能となり,適切な初期治療と,適切な専門医の紹介が可能となると思われます。ヨーロッパ各国においてもかかりつけ医制度が取られています。
イギリス,オランダの様に,救急以外はかかりつけ医を受診しなければ専門医を受診できない制度を取っている国もあれば,ドイツの様にかかりつけ医を通さなくとも専門医にかかることができますが,初診時に自己負担が発生する国もあります。イギリス,オランダは医療資源を最大限,効率的に活用するために,かかりつけ医にゲートキーパー機能を持たせていると考えられます。日本においてはフリーアクセスの制限を行うまでには需給バランスは崩れていないことから,ゲートキーパー機能は今のところ,必要ないと思います。
一方で,かかりつけ医,主治医を持つメリットは患者にとっても十分にありますから,住民に対して積極的にかかりつけ医,主治医を持つように働きかけるべきだと考えます。そのためにはかかりつけ医,主治医を選ぶための十分な情報を第三者機関である協議会が提供する必要があります。
これまで,医療界は,お互いの医療機関の競争をあおる情報公開を避ける傾向にありましたが,適切な情報に関する研究を行っている専門家もいますから,彼らの力を借りながら住民が自分でかかりつけ医を決めることのできるような情報を提供するべきと考えます。医療機関が自らの立ち位置を決めるために医療機関に対する情報提供が重要であるのと同様に,患者に対しても適切な医療機関を選ぶための情報提供が重要です。
○死に方を選ぶことのできる医療・介護を目指す
人間は必ず死にます。終末期においては,複数の選択肢を提供できるようにします。
終末期を迎える前にきちんと相談できる体制づくりが必要です。人間はいずれ死を迎えます。突然死もあれば,がんや慢性疾患によるある程度,先を見通すことのできる死もあるでしょう。一方,老衰の様に徐々に体が弱くなって死を迎えるといったこともあるでしょう。考えたくない人もいると思います。
医師として働いているといくつか不幸な事例に遭遇します。例えば,もうすぐ死に至る可能性の高い年老いた患者さんが入院していたとして,終末期における本人の意思の確認が十分にできなかった場合,ご家族と相談しながら医療を行うこととなります。免疫力が下がり,体に害を及ぼす細菌が発生すれば抗生物質を投与します。体内の水分コントロールがうまくいかなくなれば点滴や利尿剤を投与します。食事が取れなくなれば鼻から胃や腸に到達するチューブを入れて栄養分を流し込みます。胃や腸が弱れば,大きな静脈を通じて高カロリーの輸液を行うこともあります。自分で呼吸する力が弱くなれば,気道にチューブを入れ,人工呼吸器をつなぎ,呼吸を助けます。
これらの治療は心身に苦痛を与えます。もし,積極的な治療を行って状態が回復し,元気に退院できるのであれば,多少の苦痛には耐えてもらって治療を受ける価値はあります。一方で,積極的な治療を行っても回復することなくいずれ死ぬのであればどうでしょうか。積極的な治療が,苦しみの時間を延ばすだけだとすれば,どうでしょうか。無機質な集中治療室に入り,家族に常に会えず,昼も夜も分からず,のどの奥には呼吸を助けるチューブを入れられて声は出せず,おしっこの管は相当の痛みを伴い,体は点滴で浮腫んだ状態。私であれば延命治療よりも苦痛の除去を主体とする緩和ケアを希望します。
いずれ訪れる終末期を前に,国民が主治医や専門家,カウンセラーと十分に相談できる体制を整備し,希望者は本人の自己決定権を尊重し,事前に自分の意思(リビングウィル)を表明する制度を導入することを提案します。ただし,終末期を考えることを希望しない方々に強制があってはいけません。これまで終末期のあり方は国会でも議論がなされてきました。国民一人一人の問題として,向き合う必要があります。
なお,終末期医療については,経済学的な観点で議論がなされることがあります。私はこの姿勢に反対です。回復が期待できない命に対して,医療的資源を投入するのは無駄であるとの論調です。あくまでも個々の人間が,自分にとって最も幸せな死の在り方を考えるべきであり,その希望にこたえるのが社会のあり方だと思います。