今回は、私自身が行った診療について書かせていただきます。
いわき市長の記者会見、現地視察の後に、私たちは避難所での診療を開始しました。
いわき市には、1万人の避難者の方が150か所の避難所に分かれていらっしゃいました。
いわき市の面積は愛知14区(蒲郡・豊川・新城・北設楽郡)くらい大きくその広い地域に避難所が点在しているという状態でした。
避難所は、学校の体育館や公民館が利用されており、数多くの人が一つの空間にいる為、感染症が発生した場合は拡大しやすく、水道が出ないところでは衛生状態に悪化からやはり感染症が蔓延しやすい状態です。
また、寒さや栄養不足での体力低下、不安や避難所生活が続くことでのメンタル状態の悪化なども起こりつつありました。
それまで、現地の医師達が少しずつ避難所をまわってくれていましたが、大部分の避難所は状況を確かめられていない状態でした。
そこで、私たちは、まず状況が把握できていない全ての避難所を回り、診療を行うこととしました。
数百人がいる避難所もあれば、数人の避難所もありましたが、どこにも必ず高齢者がいらっしゃり、定期的に内服する薬がなくなったという方がいかに多いことか。また、感染が拡大しそうな避難所も数多くあり、このタイミングで診療に入らなければ胃腸炎や風邪が蔓延したかもしれません。ギリギリのタイミングでした。
朝から晩まで避難所を駆けづりまわって、私たちのチームで1日あたり200名を超える患者さんを診察しました。
それだけの方の診療を行い、お一人おひとり話を聞くと、今回の震災のすさまじさが手をとるようにわかってきます。
津波にのまれかかり本当に着の身着のままで逃げてきた方、原発の20㎞以内に住まわれており家に帰れなくなった方、ガンが骨に転移しており痛みを抑えながら避難所生活をされる方、喘息の発作におびえながら風邪をひいてはいけないということで遊ぶことすら叶わない子ども、言葉にできないほど悲しい感情と、この人たちに為にできることをやり続けなくてはならないと改めて心に決めました。
また、実際に、診療しながら避難所を回ると、避難所の状況は、マチマチであることに気付きます。
電気や水道がきている避難所も一部はありましたが、多くは電気や水道が通っておらず、自衛隊の給水車に多くの人が並ぶという光景が数多くみられました。また、食事も、菓子パンだけしか支給されないというところや、お米があっても塩がなく、白米のおにぎりが1日2食で支給されるだけというところもありました。一方で、地域のつながりが強いところは、地元の人たちが避難してきた人に野菜を分けている避難所もありました。そんな避難所は水道が止まっていても汚物処理もきちんと行われており、地域の情報も入る為、ガソリンやストーブの灯油も手に入りやすいようでした。地域コミュニティは、このような大災害の時にもこれほどまでに強いものかと感心し、今後の日本の為にも、崩れつつあるコミュニティを再生することは必ず成し遂げねばならないと実感しました。
話が少し横道にそれましたが、避難所の話をもう少し述べようと思います。
避難所の状況は、先ほども申しましたように「マチマチ」です。当初の話では、どの避難所がどういう状態かは、市の方で把握しているということでしたが、中には市役所職員がいない避難所もあり、やはり把握はなかなか難しいというのが現状でした。さらに、把握していたとしても、支援物資を均等に配分することや状況に応じて医師を派遣するなどを全て市役所がやることは実質不可能でした。
そこで、私たちは、いわき市と連携して診療をして回った避難所の情報を集めて管理することにしました。
そして、それを行政、病院、医師会、支援医師、地域の薬剤師、その他ボランティアに方々全員で共有し、必要なところに必要な支援が入るようなネットワークを構築しました。立場や縦割りを超えて復興に向けて努力する、その為に支援する人全員が情報共有すること、災害時の基本ですが実際にやるのは、なかなか難しいと聞きますが、いわき市はそれを乗り越えました。会議を朝・夕で開き確認し合うことでいわき市の全容が見え、物資や医療の支援も加速することとなります。
そのような中で、私はいわき共立病院の先生方と良く話すようになりました。
そうしたところから、もう一つの支援活動が始まることになります。
次回へ続く。