前回のブログに続いて、現地の状況をお知らせします。
いわき市は震源地から少し離れていたこともあり、街中の家やビルが崩壊しているわけではありませんでしたが、道路には亀裂が入り、段差が生じ、通れない道も多くありました。
しかし、沿岸部では、津波の影響は凄まじく全てが流されている地区が数多くありました。
沿岸部の小名浜地区の被害は特に凄まじく、避難所のすぐ手前まで津波が来たところもあり、危うく避難所も全て流されてしまうところもありました。安全なはずの場所が安全ではない、今回の津波の恐ろしさを感じました。
しかし、驚くべきなのは、大きな被害を受けた地域でも道一本でほとんど津波の被害を受けていない地域もあったことです。しかも古い家が多かったにも関わらずです。現地の方に聞きますと、その地域は昔から人が住んでいた場所のようで、昔の人は津波や地震などで、どの土地が安全か分かっていたようなのです。人間の知恵というのは素晴らしいものです。これからの街づくりには、その土地がどういう土地であるか、防災の視点も加えた街づくりをせねばならないと痛感しました。
それでは、次に現地の人たちの生活状況についてです。
現地で足らないもの、ガソリン、水、食料、そして薬剤です。
ガソリンは、緊急車両にはなんとか届いていましたが一般市民にはほとんど届いていませんでした。ガソリンがなくなるから市役所職員は1時間歩いて庁舎に通っている人も多くいました。また、ガソリンを買うためにガソリンスタンドに並ぶ車が4㎞にも続くところまでありました。しかし、それでもガソリンが入荷しないこともあり、車のガソリンがいつ尽きるか分からない恐怖と戦っています。また、いわき市から離れたいと考えながらもガソリンがないために動けないという状態も多くありました。
水は水道が回復している地域も少しありましたが、避難所でも水道が出ないところは数多くあります。給水車がまわり、数百人の人々が並ぶこともざらでした。
また、食料も一日2食、各おにぎり1個くらいしか配給できない避難所もありましたし、米や非常食だけはあっても、野菜や果実などがなく、この状態が長期間継続すれば、健康状態に大きな問題が出ることも示唆されました。
さらに、なんといっても薬剤不足が大きな問題でした。
現地の医師達は、病院や診療所が機能停止してはならないと、震災後もひっきりなしにやってくる救急患者に対応していました。さらに、それだけでなく、糖尿病、脳梗塞、心臓病など常に薬を内服していなくてはならない患者さんの内服薬をきらしてはいけないということで、そういう患者さんにも対応していました。
自分の診療所が倒壊して診療できない場合は避難所を回って診療を継続する医師もいました。
しかし、私たちが到着した震災後1週間には、薬剤もなくなりかけ診療が継続できない状況となっていました。
例えば、ワーファリンという血液をサラサラにする薬は、脳梗塞の予防に必要不可欠ですが、飲まない状態が継続すると脳梗塞発症のリスクが高まり、避難所で亡くなってしまうということもあり得るわけです。そんな話が数多くあるわけです。
このような薬剤不足がいわき市民34万人に対して起こるわけです。私たちの搬送した薬剤だけでは足らない為、愛知県医師会の協力で、薬剤を2トンを空輸することになりました。薬剤を用意してくれた愛知県医師会に感謝するとともに、空輸を快く受け入れてくれた三菱重工にも感謝です。
このような状況から、私たちが現地に入って以来、少しずつ物資が入るようになってきており、スーパーも1時間だけ開店するなど復興の兆しが見え始めてはいましたが、実際通常通りまで復興するのは果たして何年かかるか分かりません。
現在は、関心も高く支援物資も多く届いています。しかし、これから長年にわたって復興をするには、持続的な支援が必要です。
当面は物資の支援や義援金をお願いしたく、ある程度時間が経ったら今度は東北地方の製品の購入など経済的な手助けも必要です。(勿論、現在取りざたされている放射能の検査は必要ですが。)
皆さんに継続的な関心を持ち続けていただきたい、そしてそれは勿論、私自身にも言えることです。
次回へ続く