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2012-12-03

世代改革の今枝そういちろうをよろしくお願いします。

医療,介護の諸分野,そして教育と保育,さらには経済について経済政策,財政政策,税制,社会保障のありかた,そして政治改革,なによりも地域集権。これまで多岐にわたる分野について私の考えを述べてきました。私は医師であり,政治家を志している。まだ大局を語るには若いのかもしれません。しかし,人口減少社会に対応するための方策を一生懸命考えてきました。
長文の駄文を読んでいただいたみなさんには感謝,感謝です。しかし,選挙戦が始まる前に,きちっとした私の政策体系を示さなければ誠実ではないと思います。いつでも,だれでも,今枝の政策を参照することができる。それこそが,政策本位の政治を実現するために必要だからです。このような態度こそが,若い力を政治に生かす世代改革にとって重要だと考えています。
最後に,簡単に議論をまとめて私の論を閉じることにします。少子化,高齢化,そして人口減少。確かに,日本の少子化は先進国の中でも激しく,高齢化のスピードは速く,どの国よりも先に人口減少社会に突入してしまったのです。このことは誇るべきことではないけれども,世界中の国々がこれから経験することです。だからこそ,日本でこそ,世界に先駆けた人口減少に対応する政策体系が必要なのだと考えます。すなわち,私が本書で強調してきた成熟した人口減少社会モデルです。
 もちろん,少子化は食い止めなければならないでしょう。なぜなら,子供を産みたくても産めないような雇用状況,経済環境,制度の帰結として,現在の少子化が発生しているからです。しかし,それらの問題を解決できたとしても,再び急激な人口増に転じるとは考えられません。歴史を紐解けば,大規模な自然災害や疫病,戦争によって多くの人が死亡した後に,あたかも大規模な森林火災の後に一斉に芽が吹くがごとく,多産という現象が現れます。
しかし,私はそのようなことを望みません。確かに,緩やかな人口減少も永遠に続くわけではないかもしれません。しかし,そのことに対応する社会をいま構築しなければならないことには変わりはないと考えるからです。
 高齢化はどうでしょうか。これは防止することはできないし,望ましくもありません。しかし,多くの人が高齢化を厄介なものだと考えているようです。本書で主張したかったのは,そのような悲観論に対して希望をもたらすことであります。高齢化への対応が,雇用を生み,国民の教育・技術レベルを高め,経済を強化するということです。そのことを訴えたかった。私は医師だから,医療が充実したら,あとほんの少し量を増やして,質を高めることができたら,どれだけ多くの人々が今よりももっと幸せになれるだろうと考えて生きてきました。
でもいつも,そのためのコストが悩みのタネだったわけです。だれもが平等に医療を受けられることと,質の高い医療を受けられることは,費用的に両立しないように見えたのです。しかし,医療供給体制の見直しと,社会保険を立て直しで,二兎を追えるのではないだろうかということを発見しました。そのためには,地域集権によって意思決定と合意形成のメカニズムを根本から変えなければならないと考えたのです。
 さて,これらの私の議論を読んで,疑問を感じる読者も多いのではないかと思います。医療や介護にそれほどまでに国民の富を投入して大丈夫なのだろうか。モノづくり大国の日本として,また資源のない日本として,輸出産業を中心として経済成長しなければ,いずれ行き詰ってしまうのではないのかという疑念が生じるのも当然だと思います。
公経済を大きくすることは大きな政府につながり,経済成長を抑制してしまうのではないか。はたまた,公共サービスを拡大しても,サービス供給に偏りが生じて逆に格差が拡大してしまうのではないだろうか。そのような懸念はもっともだと思います。これまで説明してきた私の日本に対する処方箋の中で,これらの不安に答えてきたつもりですが,ここでもう少し説明をしたいと思います。
 モノづくりは大切です。これまでの説明は,決して日本のモノづくりはもうだめだとか,政策的に軽視するべきだといってきたつもりはありません。しかし,日本のGDPに占めるモノづくりの割合は,実はすでにそう多くはないのです。モノづくり,すなわち伝統的な農業,林業,水産業をさらに現代的な高付加価値産業に変えることは重要です。しかも,地域の産業においてはなおさら重視せざるを得ません。
これらの第1次産業は,日本全国どこにでもあり,どこでも必要な産業だからです。国際競争の激しい第二次産業についても,日本国としては大切です。産学連携を推し進めて,グローバル経済における激しい競争に打ち勝たなければなりません。もっとも,このような最先端分野は盛衰のサイクルは早いし,選択と集中,スクラップアンドビルド,スピーディーな意思決定が必要なので,私経済を中心として成長させるしかありません。つまり,地域の産業としては,あくまでも一過的なものにならざるを得ない側面があるということを忘れてはいけません。
 もっとも,日本はすでに第3次産業化が十分に進んでしまっていることが非常に重要です。実に,2/3がサービス産業に従事しているのです。しかも,その傾向は近年さらに加速してきています。ただし,このことは,日本がモノづくり大国でなくなったということを意味しているわけではありません。経済が成熟すれば当然の帰結なのであり,それでもなお日本のモノづくり技術には目を見張るものがあるからです。
とはいえ,我々は物質的にはかなりの充実感をもっているというのも事実ではないでしょうか。現代に物質的三種の神器は必要ありません。むしろ,対人サービスの4種の神器を充実させる必要があるのだと思います。すなわち,医療サービス,介護サービス,教育サービス,保育サービスです。これらの分野では,まだまだ掘り起こすべき潜在的な受容が山のように眠っているからです。サービス産業は,単なるお荷物ではないでしょう。モノづくりの余剰によって成り立っているという側面がないではないが,経済成長という側面から見たら有望なのは第3次産業だといわざるを得ません。
 しかも,失われた20年において給与水準が減り続けているのが,実は第3次産業なのです。たしかに,第2次産業における契約や派遣労働の増加は,雇用の不安定化や給与水準の低下を生んだとう側面があるでしょう。しかし,経済産業研究所の調査によれば給与水準が最も減少しているのはサービス産業だというのです。
むしろ国際競争にさらされているはずのモノづくりの分野では給与水準は下がっていないという。やはり,このような側面から考えても,サービス産業の高付加価値化,すなわち給与水準の上昇が必要となるでしょう。そのためには,高い専門的知識を有した対人サービス4種の神器を発展させる必要があるでしょう。特に,公経済においては労働市場ではなく民主的政治プロセスを通して給与水準と付加価値の水準を決定されるために,これからの第3次産業を考える上ではどうしても外せないファクターとなるのです。
 経済政策として,というより財政政策としてこれらの分野にお金を出すことに対する疑問はいまだに根強いように思われます。東三河で地元の人たちと議論をしていると,公共事業の要望はかなり高いように感じます。その際によく聞かれるのが,「乗数効果」についてです。2010年に当時の財務相であった管直人が答弁できなかったことで一躍有名になった経済学用語です。
乗数効果とは,マクロ経済学の用語で,1/(1-c)であらわされる係数です。cが消費性向で,これが大きいほど,つまり所得のうち消費をすればするほど乗数は大きくなり,財政政策の効果が大きくなるというものです。このような観点から考えれば,公共事業だろうが,対人社会サービスだろうが,人々の消費マインドが変わらないならば財政政策としての効果は同じだということになります。
 ただし,いくつかの点で異なる部分があります。ひとつは,その支出の資本としての性質の違いという側面です。高名な経済学者の宇沢弘文は,経済の原動力として社会的共通資本の存在を指摘しました。公共事業によって作られるのは「社会的インフラストラクチャー」としての資本です。一方で,医療は「制度資本」と呼ばれます。乗数効果が同じであるならば,不足している社会的共通資本を強化するのが望ましいということになります。もちろん,私の主張は全体としては制度資本が不足する傾向にあるということです。
とはいえ,地域によっては社会的インフラが不足している地域もまだまだあるでしょう。そのような場合は,国の制度ではなく,地域の公経済を駆動させてそれを整備すればよいわけです。それを可能とする制度的な条件はについてはすでに提案しました。もうひとつは,一人当たりGDPという,いわば豊かさそのものの観点です。マクロ経済政策としては一見同じように見えたとしても,それが豊かさに与えるインパクトは異なります。
対人社会サービスの従事者,つまり医師,看護師,介護従事者,保育師,教師は資格職であり,高度なスキルを持っていて高い給与水準を実現できます。誤解を恐れずに言うならば,じゃぶじゃぶと公共事業にお金をつぎ込んで,土木作業員の数を増やすよりも,対人社会サービスの従事者を増やしたほうが,長期的には高い一人当たりGDPを実現し,豊かになることができると考えています。教育を充実させ,能力を高め,高い付加価値と高い給与を一人一人において実現することが大切なのです。もちろん,そのためには教育制度の充実が必要だし,実現のためには時間がかかるので長期的な計画も必要になってくるでしょう。
 最後に,財源の問題があります。公共事業は基本的に借金によって行われます。そのことにはきちんと理由があって,たとえば道路を作ればそれは30年くらいは社会的インフラストラクチャーとして機能するのであって,それならば30年かけて支払いをすればよい,ということになるからです。医療は違います。基本的には毎年度,収入と支出があっていなければなりません。
この違いはお互い強みでもあり弱みにもなりうるのです。公共事業は,公債によって賄われるがゆえに,現在のような貯蓄過剰・消費過少でデフレスパイラルの場合に有効な政策となり得ます。しかし,同様に公債に依存する政策であるため,借金まみれの財政状況では実現可能性が乏しくなってしまいます。医療は(現在では)社会保険,税金,利用料金,医療保険によって賄われている。(もちろん,見方によっては借金によって賄われている部分がないとはいえない。)
それゆえ,貯蓄過剰・消費過少という問題に対してダイレクトな方策とはなり得ません。しかし,借金に依存した経済ではないため,財政的な実現可能性は高く,しかも容易に変化しない強固な経済構造になりうるのです。もう少しシンプルに説明するならば,対人社会サービスの充実は経済の基礎的な構造改革として必要なのであり,インフラの必要性や景気循環に対抗する公共投資とは補完的関係にあるのであって,どちらが優れているという結論にはなり得ないということなのです。
 さらに,もう一度公経済の原則に立ち戻るならば,経済政策的な優劣だけで公共事業か,対人社会サービスかという選択をすることはできないでしょう。道路が必要ならが,やはり道路を作るべきだし,医療がもとめられているならば,医療サービスを充実させるべきなのです。すなわち,必要性で判断せざるを得ないわけです。そういう合意が作れるなら,公共事業と対人社会サービスを増加させることは併存しうるのです。
そもそも,別のものだから二者択一でなければならないということはないのです。ただし,このような議論をするときにいつも影を落とすのが財政赤字であることをもう一度強調しておきます。だから,私はまずは財政赤字がなくなるような税財政の改革プランを訴えてきたのです。もう一度詳細に説明することはしませんが,地域集権と社会保険財政の立て直しが骨子でありました。財政赤字は国民の,私たちの意思決定をゆがめてしまうのです。だから,財政破たんの危険がすぐそこに差し迫っているとは思えなくとも,財政再建はしなければならないのです。
これまで、たくさんのことを語ってきました。
長くなってしまいましたが、選挙の前に私の立場をきちんと表明しておくのが、公正だと考えたからです。
今枝宗一郎、28歳。
世代改革のために実直に頑張ります。
みなさまのご声援、よろしくお願い申し上げます。

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AIそうちゃん