政府の活動の中でもっとも位置づけが難しいのが年金です。公的年金は財政の中でも最も規模が大きい支出なわけですが,それは直接的に需要を創出していません。これまで述べてきた医療や介護は,支出が増えれば増えるほど経済を活性化させる効果があります。雇用が増えて貨幣の循環が加速されるからです。しかし,年金は違います。公経済における貨幣循環の中で,純粋な移転に属するからです。
いわゆる付加価値を生みませんし,経済発展に直接貢献することはありません。しかし,規模が大きいうえに人口の高齢化の影響をダイレクトに受ける制度でありますので,問題が発生しやすく政争の具にもなりやすい制度です。小泉政権下の100年安心の年金改革も5年も持たずにぼろが出てしまいました。それだけ,難しい制度なのです。
重要な問題は,財政赤字の問題は3分の1くらい年金問題だということです。社会保険の制度をぐずぐずに崩して,一般財源を投入していることが財政赤字の主要な原因となっています。社会保険は義務と権利がセットになった制度です。保険料を拠出したら,恩恵にあずかることができる。きわめて単純ですが,公平な制度でもあります。しかし,そこに税財源を投入するということはこの関係をわけのわからないものにしています。
少し考えれば,公的年金に入っていた方が得をするにきまっていることが分かります。それにもかかわらず,保険料の未納は拡大していて,制度は崩壊寸前です。しかも,これまで述べてきたように財政赤字を背景として各分野で必要な経費すら支出することが難しくなってきています。いつまでたっても年金問題が片付かないことは,財政赤字発生の原因なだけでなく,日本の社会保障は高齢者に対する支出が突出していて,若年層や子育て世代への水準が低いということの遠因にもなっているのです。
社会保険として年金を考えると,他の制度と同じ問題を抱えていることが分かります。とはいえ,以下の3点において年金改革そのものも重要だと考えています。第一に,セーフティーネットとしての年金です。すなわち,年金の不備が老後の不安をあおり,比較的所得に余裕がある世帯における貯蓄過剰を引き起こす遠因となっているからです。セーフティーネットに不備があると,間接的に経済に害を及ぼすのです。デフレの経済において,そして明らかに消費不足の経済において,貯蓄過剰で投資過少の経済において,セーフティーネットの不備は経済に強いブレーキをかけてしまいます。私経済においては規制緩和が必要かもしれませんが,公経済においては制度の安定性が必要なのです。
第二に,高齢者の消費は現役世代の雇用を生み出しているということです。年金給付が消費に回るのであれば,年金を軸とした世代間対立は無意味なものとなります。年金は高齢世代に給付されるものなので,そして公的年金は現役世代の保険料によって賄われるものなので,世代間の感情的対立の原因となりがちです。しかし,それは間違っています。公的年金はむしろ,世代間の連帯の要となりえます。
年金において現役の労働者2人で1人を支える構造の到来が叫ばれていますが,年金の給付が高齢者の需要を掘り起こして消費を増大させるのであれば,すなわち現役世代の雇用を創出するのであれば,このことは全く問題になりません。セーフティーネットの議論とも関わりますが,年金制度を整えて高齢世代の消費支出を増大させることは,現役世代の雇用を生むこと,そして所得を増大させることと同義です。このような貨幣の循環を媒介として国民を統合することが,公経済の使命なのです。
第三に,高齢者の自立は現代的家族関係にとって不可欠であると考えています。高齢者の介護についての示唆的な例があります。日本とデンマークの比較で,日本ではわずかな人が長時間の介護をする傾向にあるといいます。一方,デンマークでは非常に短い時間だが一週間の間に何度も介護を行う傾向にあるそうです。
デンマークはいわゆる福祉国家で高齢者への福祉が充実しているわけですが,そのことが家族を破壊するのではなくむしろ強化しているようなのです。すなわち年金の文脈においては,介護サービスの供給という側面だけでなく,高齢者の経済的な自立こそが,伝統的な家族の紐帯を強化しています。逆に,高齢者の世話と自立を血縁関係者の責任とするのであれば,家族は破壊され,家族形成をためらわせてしまいます。
逆説的ではありますが,高齢者の自立という現代的家族関係が伝統的な家族形成を促すのです。私の基本的な議論がここにあります。医療・介護,教育・保育,そして年金。確かに,伝統的な家族や社会においてこれらの領域は家族や共同体が担ってきました。しかし,現代社会においてはそれを家族や共同体の責任にすればするほど,むしろ家族や共同体を破壊するように機能します。貨幣経済が社会の隅々まで浸透していて,非貨幣的な活動は抑圧される傾向にあるからです。
カール・ポラニーという学者はこれを市場経済の悪魔のひき臼と表現しました。しかし,私は公経済をうまく活用することによってこれを回避可能だと考えています。高い付加価値,短い労働時間,そして経済的な自立。公経済を軸にこれらを実現させることができれば,自然に家族と触れ合う時間が増えます。ここに,伝統的家族と地域社会の回復と発展のカギがあるのです。
他にも,高齢者の貧困化の問題もあります。日本においては高齢者の貧困が生活保護費の伸びの直接的原因であることを考えると非常に重要な問題です。生活保護費が増えることは,地方政府の財政が圧迫されている大きな要因となっているからです。年金制度がしっかりしていれば,生活保護の問題はずいぶんと分かりやすくなります。若年層の雇用問題や片親の問題,そして医療の問題に集中することができます。
ここで,本論からは少し外れますが,生活保護についても簡単に言及しておきましょう。近年,急激に生活保護の受給者世帯が増加していることは皆さんもご存じのとおりです。不正受給もメディアで大きく取り上げられました。このような問題の起きる原因は年金の不備にあります。年金制度が充実していれば,親子の縁を切ったふりをしながら,生活保護の不正受給をする必要がありません。ここでも逆説的ですが,公経済の整備が家族のつながりを強くする効果が見て取れるでしょう。
生活保護の不正受給といえば,新宿で医師をしていたころにこんなことがありました。アルコール依存症の治療で入院していた患者さんが,生活保護を受給していました。入院すると医療費が全額支給されるために,むしろ日々の生活費が浮きます。そこで,その浮いたお金で退院と同時に焼き肉を食べに行ったというのです。しかも,ベンツで。この事例が不正受給なのかどうか断言はできませんが,多くの人はなにかおかしいと感じるのではないでしょうか。
生活保護の不正受給はいけません。年金制度や育児給付金などの周辺の現金給付制度を整えて,生活保護の一部現物支給化を検討するべきでありましょう。それは,生活保護において公平感を確保することが何よりも大切だからです。現物給付にすれば,不正受給は減少しますが,当然ですが行政費用が増大して,生活保護費自体は増加することが予想されます。それでも,公平な制度にしなければ,公経済は機能不全になってしまうからなのです。
最後に,財政を通じた現金の移転は,社会統合のかなめでもあるということを再び強調しておきます。つまり,年金はいわゆる再分配の政策ではありますが,何のために再分配が必要なのかということを考えなければいけません。再分配を行うということは,だれか損をする人たちが出てくるし,得をする人たちも出てくるということを意味しています。私の議論のポイントは,そのような合意を形成することに意義があるということです。
どの程度なら,多少損しても構わないと思えるのか。たとえば,家族ならばほとんど無制限に再分配してもよいと判断できるかもしれません。敵同士ならば,それはゼロでしょう。一つの国家を形成するということは,少なくともこの中間に存在しています。これを,出来る限り家族の側に近づける,これが強い国家の連帯を意味しています。
少し余談ですが,昨今,中国や韓国のナショナリズムの高揚を目にします。領土問題が根本となっているように見えますが,私は領土問題の専門家ではありませんから少し別の視点から考えてみます。中韓で領土ナショナリズムが盛んになるのは,公経済が機能不全になっていることの裏返しの現象です。
すなわち,格差の問題がひどく悪化している,雇用の問題,社会保障の問題,環境問題,たくさんの国内的な問題を抱えています。そのなかで,社会の紐帯における媒介としての公経済の機能が弱っているので,対外的に的を作ることで一時的にしのいでいるにすぎません。人体にたとえるならば,ガンが進行しているところに痛み止めのモルヒネを打ち続けている状態です。だから,国内の問題を根本的に解決しない限り,状況は悪化こそすれ改善する見込みはないのではないでしょうか。
話を年金に戻しますと,だからこそ,社会的連帯の象徴として年金改革は重要でしょう。ただし,それゆえ一義的に適正な年金の規模について述べることはできません。公経済を通じた貨幣の移転について大いに問題化し,論じて,合意に至るプロセスことが重要だからです。そうはいっても,年金制度の改革案についても方向性を示しておこうと思います。
そのキーワードは①公的年金の一元化,②負担の所得比例化,③負担の上限の撤廃,④納付に応じた給付,⑤ミニマム年金です。歴史的な年金制度の導入を鑑みれば,年金制度が分立しているのは納得できます。しかし,そのことが不公平の元となり,年金制度の維持や改革への合意の障害となっているのであれば,当然一元化するべきでしょう。もちろん,社会保険の理念に照らし合わせても一元化が望ましいことはいうまでもありません。それぞれの詳細には立ち入りませんが,医療や介護の公的保険改革と方向性が全く同じであることを確認していただければ幸いです。