それでは,公経済についてはどうでしょう。公経済は税金や社会保険に依存しています。このことは,私たち国民がある需要に対して「わたしたち共同の需要」であるという認定を与えて,そのための財源の拠出=納税や社会保険料を行わなければならないということを意味しています。私の考える公経済を活性化させるための条件は三つあります。第一に,社会保険を立て直すこと。第二に,財政赤字をなくすこと。第三に,地域集権型の税源配分を実現することです。なぜそう考えるのか,そして具体的にどうすればよいのか,改革の方向性を語りたいと思います。
租税負担が高いと経済の足かせになるという認識が普通の感覚かもしれません。しかし,同じくらい共通になっている認識として,租税負担の極めて高い北欧は高い経済成長率を実現しているということがあります。どちらが正しいのかということは,簡単な問題ではなさそうです。しかし,ここで考えなければならないのは,税金や保険料を取られたらどこかで使われているということです。
少なくとも,国民負担の増大が経済の衰退につながるということありません。どうも,公経済の大きさそのものは経済成長率と単純な関係にはないのです。だから,ここでは二つのことが重要となります。一つには,医療・介護,教育・保育の充実は国民の生活の安心と安全,そして成長と発展に寄与するだけでなく,その分野での支出の増大は経済成長に寄与するということです。そしてもう一つには,デフレだからとか,経済成長率が低いからとかいう理由で,国債を発行することで適正な負担を回避したり,必要な財政支出まで削減したりしてはいけないということです。
そうはいっても,まずはどのような分野を私たちの「共同の需要」として認定可能だろうかを問わなければなりません。というよりも,みんながどの分野にならもっと税金をつぎ込んでもいいと思えるのか考えなければならないのです。さらには,どの分野に税金をつぎ込むことが成熟した人口減少社会を実現できるだろうかを問わなければなりません。私の結論を述べてしまうと,それは,医療,介護,教育,保育,環境の5つの分野だろうと考えます。
しかし,これは私が勝手に考えているだけで,だれもが賛同するわけではないでしょう。私は政治家としてこの5分野を主張するわけですが,最後は国民の手にゆだねられているといわなければなりません。しかし,他方でこの5分野でなら国民の合意が可能だろうと考えていますし,何よりも公経済の発展には欠かせない,延いては一人当たりGDPを増やすために,社会の成熟のためにどうしても必要な分野だと考えているのです。
5分野における公経済の個別の成長戦略は,実はこれまで述べてきたことでもあります。たとえば,医療・介護の充実について多少なりとも詳しく論じてきました。ここで改めて主張したいことは,それが経済成長の戦略になっているということです。私は確かに医療者の立場から,よりよい医療制度,よりよい介護制度の構築のために必要なことを論じてきました。
しかし,そこではどうしても医療従事者や介護従事者を増加し,医療費や介護費の増大を認めなければなりませんでした。ただし,そこでの懸念は医療・介護費の増大は経済成長の足かせになってしまうのではないか,ということです。しかし,経済を私経済と公経済に分けて考えるならば,医療・介護費の増大は公経済の発展に寄与していることが分かります。しかも,経済全体が需要不足に陥っている現状では,最も有望に発展する産業の分野だといっても過言ではないことを説明してきました。対人社会サービスという分野の多くは,公経済に属しているということなのです。
そのための財源はどうするべきかということも問題です。財源なき政策は有効足り得ませんし,実現できたとしても短命に終わらざるを得ないからです。このことは,われわれが民主党政権から学ぶことのできた最大の教訓ではないでしょうか。埋蔵金のようなあぶく銭に頼っていては,公経済の発展を望めないことがよくわかったのではないでしょうか。かといって,社会保障のためなら消費税の増税やむなしという風潮は少し短絡的なように思えます。
たしかに,消費税を社会保障費に充てるのは所得のある現役世代だけではなく,引退世代にもその負担を分かち合ってもらうためだという議論にもそれなりの説得力がありましょう。しかも,輸出を増大させるためには,輸出品が非課税になる消費税が望ましいということも正しいと思います。しかし,消費税にのみ議論を集中させることは,国民的議論を避けて増税しやすいという論理や,輸出だけを中心とする古い経済戦略の残り香にすぎないのだと考えます。
野田政権では,国民との約束を破って消費税増税を急激に推し進めてきました。そして,民自公の3党合意にこぎつけたのでした。たしかに,そのことは財政面からみれば評価されるべきです。しかし,私には本質を覆い隠すための戦略にしか見えません。公経済が成長している分野,すなわち社会保障関係の財源をどのように賄うべきなのかという,本質的な議論を避けて通ってはいないだろうかと思うのです。
もっと言うと,日本の社会保障の多くの分野は社会保険で担われています。しかし,社会保険の制度がボロボロになってしまっていて,そこに税財源がつぎ込まれているのです。こたびの消費税増税も,ほとんど壊れてしまった社会保険制度への単なる延命措置ではなかろうかと思えて仕方ありません。
かといって,社会保険制度をやめてしまえとは,私には到底思えません。確かに,諸外国では税財源で社会保障を運用している国はたくさんあります。しかし,そのような国は一般的な社会の信頼度が高い場合が多い。つまり,高い補償水準と高い負担水準の許容だけでなく,モラルハザードやずるをすることに対する許容度が高かったりすらするのです。
政治や公務員への信頼は取り戻さなければならないとは思うけれど,たとえば北欧のような社会保障構造が日本に適しているとはどうしても思えないのです。日本人は出る杭をたたきたがる。不正に対してずるいという感覚も強いと思います。なればこそ,社会保険を中心とした社会保障の構築がぴったりとくるのではないでしょうか。最高の社会保険制度とはなにか,それが日本における公経済の成長戦略の核となるのだと考えています。
社会保険で運営している年金・医療・介護に対して消費税を財源とすることにどれだけの正当性があるでしょうか。いや,社会保険制度の下ではほとんどないのではないでしょうか。特に,「年金国庫負担の2分の1への引上げ」に関する部分では,やっと昔の改革の財源を確保できたという面でかろうじて評価できますが,民主党は根本的に国民年金の国庫負担分を50%にすることが間違っていた,と批判するべきだったのではないでしょうか。
では,これらの社会保障分野は税財源の普遍的な給付システムへ移行できるのでしょうか。いやむしろ,しているのでしょうか。いや,出来ないし出来ていないと思います。普遍的な給付システムとは,保険料の納付の有無に限らず,等しく給付が受けられるシステムだからです。子供手当などをイメージしていただければわかりやすい。税金を払っていようがいまいが,ある条件のもとで等しく給付を受けられる。それが,税財源による普遍給付システムだからです。
しかし,現状では保険料を払った人だけが,払った額に応じてもらえる国民年金にそれだけ税財源がつぎ込まれるということは,じつは非常に問題があると考えています。税財源を使うならば,国民にできるだけ等しく分配する必要があるからです。年金保険料の未納問題がありますが,傾向としては貧しい人ほど未納になる場合が多いです。そうすると,みんなから等しく税金を徴収して,貧しい人には分配されないということになっていることになります。
これは,だれが考えても問題だと思うでしょう?もちろん,その背景には年金構造の問題があります。厚生年金と分立しているというだけではなく,国民年金の保険料が所得と無関係に決定されているという問題があるからです。これを根拠に,消費税財源の方がましだという議論がありますが,それは年金受給権を無視した場合の議論です。だとすれば,社会保険を立て直すというのが,公経済の病を取り除く最大かつ唯一の方策ではないでしょうか。受益と負担がはっきりとわかりやすい年金・医療・介護の分野はむしろ初心に立ち返って,社会保険原理を貫徹させるべきなのではないでしょうか。