(4) 地域の金融
日本では、起業家による冒険的事業に対して、リスク資本の供給が不足していることが指摘されています。銀行主導の担保主義に基づく間接金融制度では、起業家の担保能力が乏しければ、倒産リスクの高い冒険的事業への融資は期待できません。そのため、ベンチャー・キャピタルやエンジェル投資家、あるいは新興株式市場のような直接金融制度の整備が必要なことも確かです。
しかし、いずれの地域でもグーグルやヤフーを生み出した米国カリフォルニア州シリコンバレーのような成熟した資本市場が最初から存在しているわけではありません。問題は、豊富な資金調達手段が形成される段階的プロセスをどのように構想するかにあります。
日本と同様に銀行中心の金融システムが主流となってきたドイツの事例を挙げておきます。メディア産業に関連するベンチャー事業が盛んなドイツ・ケルン地域では、地域銀行自らが当該産業向けの専門投資部門を設立し、専門的知識を身に着けて、事業に対する評価や積極的な助言を行うことで投資リスクを軽減させて実績を残しています。そこでは、必ずしも出資基準に担保主義はとられていません。
他にも、日本と同様に、民間リスク資本不足に悩まされてきたフィンランドでは、国家的なリスク資本の供給機関が全国的に地域支部を設立し、各地域のベンチャー的事業を支援しています。代表的な公的リスク資本供給機関として、フィンランド技術庁TEKESが挙げられます。大学や公的研究機関、大企業だけではなく新興中小企業の研究活動に出資し、フィンランドのイノベーション政策の要となってきました。
TEKESのオウル支部には、オウル大学やVTT、ノキア出身者の専門家を要し、地域に密着した支援活動に従事しています。また、月に数回開かれるヘルシンキでの会議では、他の専門チームの助言を受けながら各技術開発プロジェクトの審査をしたり、地域間で交流可能なプロジェクトの調整が行われます。地方のプロジェクトに関する情報がヘルシンキに集結するとともに、そこでのアイディアが再びオウルのような地方都市にもたらされる仕組みです。
確かに、銀行や公的支援機関をベースとするリスク資本の供給では、供給量に限界があるかもしれません。ですが興味深いことに、オウルでは、こうした公的リスク資本の支援を受けて創業した企業や人材が、成功した後に、ベンチャー・キャピタルやエンジェル投資家となって、地域に再投資していく好循環が生まれています。日本においても、成熟した資本市場が育つ前段階として、個別地域のニーズに合わせたリスク資本の幅広い供給手段を検討するべきでしょう。
(5) 魅力ある都市・地域の生活環境
以上は、直接的に経済・産業の成長にかかわる制度的問題を論じてきましたが、ここでは、社会や環境、文化にかかわる領域として都市政策の意義について議論したいと思います。
今日、世界中の都市が、イノベーティブな企業や知識労働の担い手を引き付けようと、魅力的な都市・地域の生活環境の整備に奔走しています。例えば、韓国ソウルでは、清渓川の清流を取り戻して市民の憩いの場として再生しました。ドイツのルール工業地帯は、かつての重化学工業地帯の産業遺産と広大な自然を生かし、エムシャーパークとして様々なレジャーを楽しめる公園に生まれ変わりました。
都市経済学者リチャード・フロリダが論じるように、創造的な仕事に従事する人々は、魅力的で刺激的な社会的・文化的・地理的環境を求めて移住します。そのため、生活の質を重視した都市・地域環境づくりこそが、多様な人材を引き付けて、豊かな地域労働市場を形成し、延いては、地域の経済発展に結びつく可能性があります。言い換えれば、都市政策が産業政策になる時代を迎えているのです。
生活の質を重視した都市政策をベースとして、企業誘致による地域産業振興が効果的に結びついた事例として、米国オレゴン州のポートランド(ポートランド市:人口およそ60万人)が参考になります。オレゴンにはシリコンバレーのスタンフォード大学のような世界に誇る研究型大学が無く、有能な人材が地域内からなかなか育たないという課題を抱えていました。
そのため、ポートランドの財界では、インテルの研究開発ユニットを誘致することで、同社の有能な人材の移住を促す、いわば外部依存型開発を選択します。2003年のオレゴン州インテルの従業員数は、およそ15,000人となり、その9割は州外出身者の採用と言われています。
この優秀なインテル従業員をポートランドに根付かせたのが、魅力的な生活環境を形成する都市政策です。街のどこからでもポートランド周辺の美しい山々が見えるように配慮されたまちづくり、気軽にアクセス可能な豊富なアウトドア・レクリエーション、LRT(新型路面電車)によって中心都市部へのマイカー乗り入れを規制し、郊外からも気軽に中心部へとアクセス可能で、そこには歩いて楽しめるショッピング街が賑わいをみせています。州外出身者であっても、この地域を愛し、ポートランドの新たな地域主体となり、この地域の経済に新風を吹き込んだのです。
工業化時代に犠牲としてきた生活の豊かさ、これを取り戻すことが、地域の新しい発展可能性につながる時代です。東三河地域では、成長する西三河地域あるいは浜松地域の影響を受けながら、臨海部埋立事業やリゾート開発をはじめとする環境破壊型の地域開発を進めてきた過去があります。しかし、その中でも守られてきた貴重な自然資産があります。南部には、恋路ヶ浜のような美しい砂浜海岸や県立自然公園を有する渥美半島、北部には、鳳来寺山を抜ける静岡県境から設楽町の鞍掛山までの深緑に満ちた東海自然歩道や天竜奥三河国定公園があります。
そして、近年観光資源として注目され始めている産業遺産も数多く残されています。豊橋市には、自動車の中心部への乗り入れを抑制し、郊外から都市中心部へとつなぐ路面電車が走っています。自然・産業・文化的資産は、これまで外向けの観光資源として開発されてきましたが、地域の生活の質を向上させ、新たな都市・地域政策の可能性を秘める地域資産として位置づけなおす必要があるのではないでしょうか。
(6) ローカルな地域経済を支える重層的支援システム
ここまで、国内外の先進事例から学びながら、地域から始める制度的実験の可能性について検討してきました。やはり、フィンランド・オウルのVTTのような研究機関を設立できるのは有力大学や大企業が近接する大都市ではないか、地域レベルのクリエイティブな制度設計を可能にするノウハウの蓄積が必要であり、日本の中小地域経済では現実的に難しいのではないか、こうした疑問が浮かぶのももっともなことです。
これに対して、フィンランドの試みが、再び示唆を与えてくれるかもしれません。実は、北部中核都市としてのオウルの成功から学んで、北部フィンランドの諸地域では、人口5万人以下の自治体が周辺自治体と連携して、国やEUの資金的支援を受けながら、特定産業に特化した教育機関や応用技術研究機関を設立し、「ポリス」と呼ばれる様々な産業振興拠点が設立されています。
例えば,豊かな自然環境や観光業を活かしたソットゥカモ町では,冬季スポーツ関連技術の「スノー・ポリス」,プロセス産業の拠点であったカヤーニ市では,計測技術開発の「メジャー・ポリス」等々,人口70万人の北部フィンランドに20近くのローカルな拠点が存在します。もちろん、こうした個々のローカル拠点には、各種資源や知識、ノウハウに不足が生じるので、北部フィンランドの中核的拠点であり、より幅広い情報や知識を提供可能なオウルとのネットワークを形成することでこれに対処しています。
具体的には、オウルのサイエンスパーク運営企業やオウル大学、VTTオウル等が参加して、拠点間の交流や研究開発プロジェクトを進めています(「マルチポリス・ネットワーク」と呼ばれる)。そして、オウルは、世界的な情報通信技術産業の拠点として、首都ヘルシンキだけではなく、米国シリコンバレーなど、グローバルなネットワークに組み込まれています。そのため、企業は、北部フィンランドのローカルな拠点に立地していたとしても、オウルとのネットワークに組み込まれることで、多様な情報や知識を獲得する機会を有するのです。
東三河地域では、多角的な産業構造を有し、先端的な学術研究機関の立地する豊橋市を一つの拠点として、多様性ある域内諸地域と連携、支援していく道を模索する。そして、近年「光・電子技術イノベーション創出拠点」として交流の進む浜松地域や、名古屋といった国際的研究開発拠点とのネットワーク関係を形成することで、新しい知識・情報・ノウハウが東三河地域にも流入する制度をつくることが重要です。東三河のように、多様な企業や産業、自然や文化の根付いた地域が内部に複数存在することは、むしろ発展のポテンシャルであり、これを開花させる政策が求められています。