「自然への回帰」を説明しましょう。日本人は伝統的に自然との調和を志向してきたといわれていますよね。しかし,高度経済成長はむしろ西欧的な自然の克服の歴史であったわけです。森を切り開いて集合住宅を整備し,湾を埋め立て,日本中をアスファルトで舗装してしまいました。それゆえに,日本の原風景の大部分が失われてしまったのです。モノをつくって消費するという観点からは,自然は不必要だったかもしれませんし,むしろ脅威ですらあったといえるでしょう。
しかし,中高年に山登りブームが訪れたり,山ガールと呼ばれる女性たちが出現たりしているように,自然を味わいたいという欲求は根源的に存在しています。自然への回帰は,消費を刺激するための重要な戦略なのだと考えています。しかも,自然は子供の成長にとって欠かすことのできない要素でもあります。教育水準の高さは,なにも学校教育にのみ依存しているわけではありません。
自然の中で味わうさまざまな体験こそが人間の思考の源泉だからです。著名な経済学者の宇沢弘文は,数学的思考ができるためには体験が欠かせないことを指摘しています。数学的な抽象思考をできるようになるためには,具体的な体験の裏打ちが欠かせないというのです。しかし,現代の子供たちにはその機会は少なくなってしまったように思います。子供に自然を。これは,単にレジャー消費を喚起するための戦略なのではなくて,より本質的な次世代育成の戦略なのです。
それに加えて,自然との接点にある産業は成長分野になり得ます。農業,林業,水産業はいわば衰退産業として扱われてきたし,たしかにそのような側面は否めないのも事実です。しかし,それはあくまでも市場経済的効率性の側面からみた場合です。たとえば,農業において広大なアメリカやオーストラリア,中国に費用対効果でかなうはずがありません。どんなに経営効率を高めたとしても,外国産品よりも安い農作物を作ることはできません。
円高が続くとすればなおさらです。だからといって,関税を高くしたり貿易の制限をするべきだと主張するつもりもありません。自由経済もまた,社会の発展に不可欠な要素だからです。そうではなく,多様な気候と自然を背景とした多様な1次産業の在り方が,地域社会の活気の源泉であると主張したいのです。経済効率的な農業というよりは伝統的な農業が,その土地の伝統的な食事が,経済成長の源泉になりうるということです。というのは,地域ごとの創意工夫と伝統の発展が人口減少社会の成熟には欠かせないと考えるからなのです。
林業はどうでしょうか。日本は資源がない国だといわれます。しかし,国土の3分の2を森林でおおわれている資源大国でもあります。福島の原発事故のあと,これからのエネルギー問題をどうするかという議論が盛んに行われています。原発か,太陽光かという議論があちこちでなされています。しかし,それ以上に検討するべきことは林業のバイオマス産業化ではないでしょうか。
たしかに,現在の林業はさまざまな問題を抱えています。林業の衰退によって,森林被覆率の割に良い木材がとれないほど森林が荒れているというのもひとつです。高コスト体質もそうです。しかし,後に述べるようにこれらの問題は本質的な問題ではありません。バイオマスを利用した発電や暖房などは,コストの面から考えても,地域密着の経済であることから考えても,政策の設定の仕方によってはほかの再生可能エネルギーよりも有力な分野になりうると考えています。逆に,日本の農業にはあまりバイオエネルギーへの進出が有望ではないかもしれません。大豆とかトウモロコシとかかバイオエタノールを作るならば,やはり大規模な農場経営がコスト面で有利にならざるを得ないからです。
漁業はどうでしょう。確かに漁業については,国際競争の真っただ中にさらされており,経費における燃料費が大きいことから,昨今の原油高騰で痛手を受けています。そのうえ,農業や林業と同様に後継者不足も深刻です。しかし,遠洋・沖合・沿岸のどこで漁業をするにしても,エネルギー効率の改善がなされるならば,産業としての可能性は大幅に広がります。特に,沿岸漁業に関しては,地域性が非常に強いのです。
地元密着の経済や文化の醸成のためには,漁業は衰退させてはならない分野だといえるでしょう。漁業単独では厳しいけれど,エネルギーやグルメと組み合わせることで,地域経済の礎となりうると考えられるのです。なによりも日本の風土と自然を愛する心をはぐくみ,次世代のエネルギー源として,地域の資源として自然を大切にする。木にも河にも岩にも神が宿るとして自然を大切にした日本人の心を取り戻すことが,明るい未来にとっても大切なのです。