しかしです。しかし、その「成熟国家」にあった社会構造を作り上げずに、中央集権的に諸問題を解決しようとすることにこそ問題があるのです。デフレ不況に対応するべく公共事業による雇用創出を行うことはその典型的な例です。「成熟国家」における多様な地域のニーズに対して画一的な施策によって対処するのは無理があります。そうした基本的なニーズが満たせないと人間は多くの不満をため、そのはけ口を求めるようになり、その結果がバッシングの連鎖として表れます。
たとえば公共事業バッシングがあります。一部地域では本当に道路などのインフラ整備を必要としているのにもかかわらず、中央主導の公共事業は「ムダな支出」として扱われ、それによる財政圧迫を理由にバッシングの対象になっています。その他のバッシングは官僚バッシング、行政バッシング、生活保護バッシングです。
湯浅誠氏はこの生活保護バッシングを「世の中の地盤沈下」と呼び、人びとの生活に対する危機意識がバッシングとして表れていると言っています。まさに人は自分のニーズが満たされていないと、他人は甘い蜜を吸っていないかを監視し、それを見つけては非難するという嫌いがあるのです。これらバッシングの連鎖は多くの人々が自分の生活に満足がいかなくなってきたために起こったことだと私は思います。
こういった状況下においては、ポピュリズム政治というのが勃興しやすくなります。なぜなら、人びとのバッシングをあたかも民意かのように扱い、そのバッシングに乗っかることで支持を得ることが可能だからです。「既得権益層」に対してバッシングを行い、国民の不満を代弁する形で人気を得ることが出来るのです。しかし、これではマジョリティーの利益を実現することができないのみならず、マイノリティーへのしわ寄せが起こるだけで何も解決しないのです。
誤解をしてほしくない点は、もちろんこれらのバッシングの正当性はあると思っていますし、解決しないといけない部分もあると思います。ただし、現在政治家がなすべきことはバッシングの便乗で支持を得て、一人の力で日本を変えることではないのです。では、現在政治家に問われていることは何なのでしょうか。
現在政治家に問われていることは、ずばり「子や孫やその後の世代に、どのような社会を作り上げるのか」という根本的な問いだと思います。中央集権体制の歴史的背景をこれまで見てきましたが、そこでわかったことは、戦後日本での政治家達が「どのようにしたら欧米に追いつけ、豊かな社会を作り上げられるのか」という問いに対する答えとして中央集権体制があったということでした。「国の若さ」を最大限に活かすためにもっとも合った体制がそれだったのです。
それゆえ、ものすごい勢いで日本は世界でも最も豊かな国の一つにまでのし上がることが出来たのです。これは先人たちが「子や孫やその次の世代により豊かな生活をさせよう」という思いがあったからに違いありません。そして現在、問われているものはまさに同じ問いなのです。先人たちの努力に敬意を払いながらも、「どのような社会を後世に残そうか」という問いに答えていかなければなりません。
そして私のたどり着いた答えが、人びとのニーズを満たすこと、そして受益と負担が一致する社会を作り上げること、というものになります。言い換えると、それこそがまさに地域集権体制ということになります。ただし、この私の掲げる「地域集権」というスローガンはこれまでの地方分権や民主党の唱える地域主権とは全く異なる概念であることに注意しなくてはいけません。それを確認するためにこれまであった地方分権、地域主権に関する議論の整理を行うことにします。
1990年代から始まった日本における地方分権の議論は1999年の地方分権一括法の成立によって初めて実を結んだと言えます。なぜなら、機関委任事務、つまり地方政府に中央政府の仕事を委任する事務が廃止され、国の関与を大幅に縮小することができました。ただし、機関委任事務のなごりは残っていると言わざるを得ないのが現状でしょう。また、2001年から2006年にかけての5年間で国庫補助金、地方交付税、税源配分のあり方を検討する「三位一体改革」が行われ、結果としては約4.7兆円の国庫補助金改革、約3兆円の税源移譲、約5.1兆円の地方交付税の削減が実現されました。
3兆円程度の税源移譲が行われたことは、地方分権改革の大きな一歩だったかもしれませんが、その移譲分より多くの補助金や地方交付税が削減されたのは、地方分権という名の下で中央政府の財政健全化を行ったように見えても仕方がありません。これでは地域の多様なニーズを満たすことが出来ずに、住民の不満は募る一方になりバッシングの連鎖やそれによるポピュリズムの台頭に結びつきかねません。事実、この状況が前述した第一次世界大戦後の日本がたどった軌跡と酷似しているようにも思えます。