ここまででも、私が政治家を目指すものとしていわんとすることのエッセンスはご理解いただけたのではないかと思います。医療・介護、教育、経済、政治、そして地域集権の五つが最も重要なキーワードです。しかし、この中でも「地域集権」という言葉については耳慣れないかと思います。そこで、簡単に地域集権のイメージを説明しておこうと思います。
先ほど、中央集権体制が時代に合わなくなってきたことを指摘しましたが、それに代わる国家像として地域国家があります。地域ごとに自らの持つ資源をフル活用し、創意工夫して産業振興を図り発展する。お互いの地域で切磋琢磨し合うことで、国全体が成長するイメージです。その為には、地域ごとにさまざまな権限や財源、人材を持っていなければなりません。私はこのような改革の方向性のことを、地域集権と呼んでいます。これまでいわれてきた地方分権という言葉には、国が中心となって地方に権限を分けてあげるという発想が透けて見えるような気がします。事実、(1)国庫補助負担金の廃止・縮減、(2)税財源の移譲、(3)地方交付税の一体的な見直しを行った、いわゆる地方分権の三位一体改革では、地方分権の合言葉のもとに国の財政赤字の削減のために地方の財源を弱体化させました。私の考えからすると、地方の財政、ひいては地方経済を弱体させることは地域集権とは言えません。地方を強くすることが地域集権なのです。
また、民主党政権になってから、地方分権という言葉は地域主権という言葉に置き換えられました。しかし、地域主権の旗印の下でどんな政策が行われたのでしょうか。このような、政治的に手垢にまみれたスローガンから、新しい政治は出てこないのではないかと思っています。住民が自分たちのことは自分たちで決め、自分たちの地域の良さを再認識し、創意工夫をして新たなことに挑戦する。自分の地域の魅力や価値を伸ばしていくことで経済的発展を達成します。また、生活に密着した身の回りの課題は、出来る限り自分たちで解決するように努力します。それが私の新しいスローガン「地域集権」です。
中央集権から地域集権の国へと日本が変わることで、高齢化・人口減少に対応できる成熟した国家となれるのではないかと考えています。しかし、地域集権とすれば、地域ごとに経済状況も行政サービスも異なってきます。地域ごとに重要視する分野が異なることから、格差が拡大する部分も出てくるでしょう。その時に、日本という国家として保障しなくてはならない最低の基準があるはずです。外交安全保障の安定や金融市場の安定、教育の基本方針などは勿論ですが、ナショナルスタンダードとしての社会保障が非常に重要です。
私はあえてナショナルミニマムという言葉は使わないことにしました。ミニマムとは最低限のことです。日本国憲法の第25条1項に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いてあります。ここに最低限という言葉があるので,どうもナショナルミニマムという表現が好まれるような気がします。しかし,あえていいますが,日本が目指すべき目標は最低限ではないのではないでしょうか。憲法とは国民として政府に守ってもらわなければならない最低限のことしか書いてありません。だから,医療崩壊がおきて最低限の生活すら守れないという事態は避けてもらわねばなりません。とはいえ,最低限でよいということになれば,どの水準が我慢できるぎりぎりのミニマムなのかということになり,国の責任はそこまででいいのかということになります。地域集権国家が目指すのはミニマムではなく,みんなが日本は豊かだと認識できるスタンダードなのです。経済を成長させ社会を発展させる為の地域集権改革と,人々が安心して暮らせる為のセーフティネットとしての社会保障改革が一体となって進むことで日本を人口減少社会という新たな時代に適合する国家となれると考えているのです。